Mlily’s blog

心を言葉にすると、軽くなるよ。

母の姿

 母が朝からほとんど使っていないアルバムを捨てて良いかと私に尋ねた。

 大したことない数枚の写真を入れていたぐらいだったのですぐに承諾をしたが、もう一つ、母が捨てようとしたアルバムのデザインが素敵だったので、私はまじまじと手にとって眺めた。

 「もうそのアルバムの写真は抜き取ったよ。」

 母がそう告げても、家にあるアルバムの中でも見たことのなかった、シンプルながらも洋風で上品なデザインだったので、写真がなくても私はページをめくっていた。黄ばんだページが時を重ねてきたことに情が動いていたのであろうか、今思えばなぜそこまでページをめくっていたのか自分でも不思議だった。

 何枚かめくって終えようとしたが、まだ写真を抜き取っていないページが出てきた。それは数十年前の成人式である、母の振袖姿であった。

 母の若い姿を知る機会などなかったものだから、私は小さな驚きと興奮が湧き上がった。

 「あれ、全部写真抜けてなかった?」

 母は少しにやけてこっちを見たが、何事もないような素振りだった。

 成人式を終えている私でも、母と同じ振袖を着た私にとっては不思議な感情だった。母の実家を背景に首を傾げたり、斜めを向いて袖の柄を表に見せたり、中には両手を腰に添えて首を曲げて上を向く子どもらしいポーズもとても愛らしかった。

 また、娘の晴れ姿をフィルムカメラで何枚も残す親の愛も感じ、知ることもない血の歴史が写真を通して知れたことにとても印象的な出来事であった。

 母はその写真を数枚とって捨てるというので、私も数枚貰うことにした。母は苦笑して「やめてよ」と言ったが、確かにこれが自分の成人式の写真であれば、とても恥かしく誰にも見せられないものだ。でも自分の写真が誰かにとっては慈愛があって、それが今、私なのだから譲る気持ちはなかった。それにしても、どれを選ぼうか捨てがたいものばかり。

私はこっそり半分以上の写真を取って、後に姉に自慢げに見せようと、目論むのであった。